◇ロシアってどんな国?というと、多くの人が「広い国」「寒い国」のどちらかをいうと思います。そのとおり、広大な国土と、寒冷な気候を特徴に持つ国ですが、その巨大な国土は時にはお荷物になりながらも、周囲の国に影響を与え、また与えられるという「何かとまわりに影響する」という特性を持っています。そのため、この国には癖があっても強力なリーダーシップをもつ人物が求められたのでしょう。そんなロシアを今回から4回にわたってとりあげます。
◇まずはロシア人のもと、ロシアに住んださまざまな民族を紹介しましょう。ジュースの成分のように、さまざまな民族がロシアの地に住み、混血し合ってロシア人ができていると考えてください。
◇まずは、南ロシアに様々な民族がやってきました。(大まかにロシアを3つの地域で考えるとわかりやすいかもしれません。シベリア・ヨーロッパロシア・(ヨーロッパロシアとされるが)南ロシア)この南ロシアは広大な平原が広がり、民族の十字路となっています。
まずは「スキタイ」と呼ばれる民族。この民族は遊牧民族のルーツとされるもので、金細工の装飾品として知られています。次にゲルマン人の一派、東ゴート人、さらにはそのゲルマン人を駆逐しながら移動したフン人、そして東からロシア人の「主成分」であるスラヴ人が移動してきます。
◇そうこうしているうちに9世紀、ノルマン人(ヴァイキング)の一派がロシアに初めての「国家」を作ります。その国の名前は「ノヴゴロド国」、建国者はリューリクといいます。現在のサンクトぺテルブルクのあたりに都のノヴゴロドがありました。ヴァイキングたちが建てた国ではありますが、主成分のスラヴ人が多数を占めていたので、ノルマン人たちはスラヴ人と混血され、「ほとんどスラヴ人」という感じになりました。
◇そうしてノヴゴロド国がスラヴ化した国家の名を「キエフ公国」といいます。統治する人物はリューリクの一族ですが、都を南ロシアに移し、スラヴ人の国となります。最盛期は10世紀末、ウラディミル1世の時代で、キリスト教の中でもギリシア正教に改宗し、ビザンツ文化、すなわち東ヨーロッパの国家のスタイルになります。
◇12世紀末にはこのキエフ公国は衰退してしまうのですが、この衰退につけ込み、一気にキエフ公国を滅ぼしたのがモンゴル人、チンギスハンの孫バトゥという人物です。スラヴ系のロシア人は100年余り、モンゴル人の建国したキプチャク=ハン国の支配下におかれ、この時代を「タタールのくびき」といいます。
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