2014年10月11日土曜日

ロシアの歴史②ツァーリたちの時代

◇前回、ロシアは100年余りモンゴル人の支配をうけたことをお話ししましたが、今回はそのあとのロシアのお話をします。衰退したキプチャク=ハン国から離脱し、再びスラヴ系の国に戻したのが「モスクワ大公国」と言われる国です。このイヴァン3世という人物が「ツァーリ」というロシア皇帝の称号を用い始めるのですが、「カエサル」というローマ皇帝の称号が「ツァーリ」と発音を変え、東ローマ帝国に伝わり、それがロシアに伝わったのです。

◇その次が「イヴァン4世」という人物です。この人物が皇帝に即位したときに同時に「ツァーリ」と名乗ったことにより、ツァーリはロシア皇帝の正式な称号となります。このイヴァン4世は「雷帝」というこわーいニックネームを持つのですが、現在は世界遺産になっている聖ワシーリー聖堂という教会を作らせた際、その建築家に「このような美しい教会を再び(ほかの誰かのために)作らせないようにお前の目をつぶそう」といってその目をつぶしたとか。やはりこわーい皇帝であったようです。また、イヴァン4世のとき、コサック民族の首長、イェルマークという人物がシベリアを占領し、それをイヴァン4世に献上したことからロシアの東への拡大が始まります。

◇イヴァン4世の死後、急速にモスクワ大公国は衰え、血統も途絶えてしまいます。貴族たちは話し合いによって空席のツァーリにミハイル=ロマノフを選びます。これがいわゆるロシア帝国の王家である「ロマノフ朝」の始まりです。

◇ロマノフ朝の王としてまず第一に挙げられるのはこのピョートル1世、「大帝」というニックネームは伊達ではなく、この王の身長は2m以上あったといいます。この皇帝、ロシアの技術力の遅れを悟り、自ら西欧諸国を視察して回り(身分を隠してオランダの造船所に弟子入りしたこともあったようです)、ロシアの近代化に尽くしました。スウェーデンを破り、シベリアの領地を拡大して中国の王朝と接触するなど、業績は書ききれないほどです。首都としてペテルブルクを建設しています。

◇ピョートルの死後、役40年後に登場した皇帝がエカチェリーナ2世です。この女帝はドイツから嫁いできた女性が、夫のロシア皇帝ピョートル3世を一説には愛人に毒殺させて皇帝になった人物です。愛人も200人いたといううわさもあります。こう言うと鬼のような女だな、と思われるかもしれませんが、知性あふれる魅力ある女性だったようで、愛人の多さも交友関係の広さも、魅力の一部ととらえることができると思います。この皇帝、業績としてはポーランドをプロイセン王、オーストリア王を誘って分割したり、武装中立同盟でアメリカの独立をアシストしたり、日本にラクスマンという人物を派遣して通商を求めたりと、大きな仕事をこなしています。

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